第19回 蓄音機との出会い
第19回 蓄音機との出会い
(コミュニケ2000年11月号掲載)
我々の幼いときは、確かポータブルの蓄音機で夏のラヂオ体操をやった記憶がある。やがて電蓄ができ、LPレコードができ、ステレオが出てきた。それと平行して専門誌が生まれ、数多くのオーディオマニアが現れた。やがてCDが生まれ雑音のないクリーンな音に皆が驚嘆した。S/N比がどうの、ノイズがどうのと盛んにオーディオ雑誌の評論家たちが議論を交わした時代である。
ところが10年ほど前に、日本製蓄音機のビクトローラ(外国製の蓄音機に比べればずっとレベルは劣るが)でカザルスのチェロをSPレコードで聴く機会があった。鉄針のスクラッチノイズを通して出てくるその音は、なんでこんな昔にこんな音が作られたのかと思うほど新鮮で、鳥肌の立つ思いであった。実に耳障りの良い、楽器そのものの音がそこには再現されていたのである。
今までの私のレコード(CD)の鑑賞のしかたは、まるで美人の顔を虫眼鏡で見るような態度であったのである。
またSPレコードのもうひとつの利点は、名演奏が残っている点である。というのは、当時のテクノロジーはまだまだ低く、録音にあたっては現代のようには「やり直し」が効かないため、練習に練習を重ねて彼らは録音に臨んだのである。
そのため、緊張感のある名演奏がたくさん残っている点である。
今は亡きカルーソーやシャリアピン、ジーリ等の名演奏をSPレコードはイキイキと再現してくれるし、ギターで言えば、セゴビアが今のナイロン弦が現れる以前のガット弦で演奏するギター曲が聴けたりするわけである。また最後のカストラートといわれたモレスキーの演奏なんかは絶対にSPでなければきけないだろう。(このレコードはずっと探し続けているのであるが、未だにお目にかかれないでいる)
というわけで、アンティークの買い付けには毎回必ずいい蓄音機、いいSPレコードが安く発見できないものかとマーケットをウロウロしているわけである。
HMV163蓄音機
このエッセイは10年以上前に書き上げたものですので、現在の状況と違う点があるかも知れませんがご了承下さい。